リチア電器

たまに訪れてはふらっとお話ししていきます。

幻肢痛を抱いて歩め ‐10ks初日に行ってきました‐

※10ksのネタバレを含みます

 

今のKAT-TUNの形容として、「四肢をもがれたようだ」という言葉を目にしたことがある。

 

確かに頭数で言えばもはや半壊している。単純な損傷度でいえばそんな感じ。KAT-TUNからいなくなっていったメンツを考えても、赤西くんの天に届きそうな伸びやかな声はもうないし、聖の地を唸らすような咆哮もなければ田口くんの軽やかなバネも失われている。おそらくそれは不本意ながらも的を射ているのだと思う。

そのKAT-TUNが、どうするのか?という試金石は奇しくも10周年のアニバーサリーコンサートとなったわけです。10ks初日、名古屋公演にいってきました。

 

突きつけられた3人という人数の少なさは「アイドルグループ」としてきっとミニマムなサイズなんだろうと思わせるものでした。だって、ハモるとフェイク入れられないんだよ。一人がピアノ弾いてボイパしたら歌える人、一人しかいないんだよ。すっくない。
3人というのは常にセンターが発生してしまう人数で、だから今回のKAT-TUNはころりころりと真ん中に立つ人を変えていました。常に存在し流動するセンターは逆説的にセンター不在を表している気がしました。これ、今までの、というか2TOP体制時から考えるとものすごい転換だと思う。そうならざるを得ない、というのが正味な話ではありそうだけど。

しかし今回、私が印象的だったのはこの「不在」の存在で、そして一番愛しく感じたものでした。

 

話は冒頭にかえり、四肢を無くしたKAT-TUNが次に抱えるのはきっとかつてあったものをまさしく「いたむ」幻肢痛なんだと思う。ファントムペイン
1人欠けたときは繕うに隠して、2人欠けたときは焼きごてでも入れるように塞いだ傷口はまた開いた。開いてしまった。多分、とっても痛い。そしてその痛みを此度のKAT-TUNはどうしたか。それが「あったままにする」だったんじゃないかと、名古屋で感じた。痛みすら抱いたんだと。それすら慈しむんだと。

思い出されたのはNMPツアー、要所要所の演出にPVが使われるのに赤西くんの影はどこにもなくってだれもそれに触れなかったことや、4人になってからのラップ部分全カットのReal face。多分、今回もそういう風にすることは、誰かがいたことなんて、なかったですよ?って顔をすることはできたんだと思う。ものすごい無理があるけど!でも今回は違った。「不在」が確かに存在していた。きっとあれは意図された空白だったと思う。あのKAT-TUNが無音に踊る瞬間にたくさんの人が、赤西くんの不敵な笑いを、聖のフロム千葉を、田口くんのひらめく踊りを見たんじゃないかなぁ。

 

KAT-TUNって、因果な名前だなぁと思う。最初っからグループに自分だけの場所がある。中丸くんが聖が抜けた時に言っていたけどやっぱり「抜けた人の代わりはできない」んだ。だったら不在の隣人を隣に置いておけばいいよ。そうやって進もう。

なんとも恐ろしいタイミングに重なってしまった10周年アニバーサリーコンだけど、このタイミングでよかったのかもしれない。かつてカツンにいた子たちのファンの方々が楽しかったよ、って言ってくださってたのが勝手に嬉しくて誇らしかったです。よかった…。

どうやらKAT-TUNという船は本当に一度錨をおろしてしまうみたいです。今回諸所で充電期間もきっと強い風が吹くんだろうなぁと思わされたけれど、でもあと4回の、たった4回の出航で終わらせるわけにはいかないんだ。

 野郎どもの船は優しい船です。テセウスの船でなければノアの箱舟でもない。きっといつでも変わらない姿で誰でも乗せてくれる。だから、とりあえずまずは残り4回の抜錨を全力で楽しみたいと思います。私3回だけど!